1. 受講料・お支払い・お申し込みについて
WJLC日本語教師養成講座の受講料金を教えてください。
個々の講座料金については日本語教師養成講座講座案内のページで紹介しております。こちらからご参照ください。
WJLC420時間日本語教師養成通信講座の受講料金1740オーストラリアドル(約17万円)には何が含まれているのですか。
本校の受講料には入学金・教材費全て含まれており、提示している料金1740オーストラリアドル(約17万円)以外の費用は一切ありません。ちなみに教材費には発送料(地域により9000円~15000円)と書籍7冊・ネット上での動画配信・オーディオ教材(約3万円分)が含まれています。
教材費等の郵送費は別途で払わなければならないのですか。
いいえ、上述の通り、どの地域へ送る場合も全て授業料に含まれています。
他校と比較してWJLCの420時間日本語教師養成講座の受講料は格安だと思うのですが、どうしてですか。
おっしゃるように他の日本語教師養成機関などと比較してもらえば一目瞭然なのですが、本校は長年低料金化を図りかつ維持しております。本校は授業以外のコスト(広告・宣伝費、不必要な施設・設備費等々)を縮小するなどしてできる限りハード面のコストを受講料に含めず、ソフトの内容のみが料金に反映するように努力しています。低料金で受講生の夢の実現に寄与できればこれに越したことはありません。
講座受講の申し込みはどうすればよいですか。
講座受講お申し込み方法は申し込み方法のページをご参照ください。
通常、通学講座の場合は講座開始日1、2週間前まで受け付けていますが、それ以前に定員になった場合は募集を締め切ります。ただし、講座前日でも定員を満たさない場合はお申し込みを受け付けていますので、受講お申し込みご希望の方は電話またはe-mailでお問い合わせください。
講座受講ご予約の場合は特にデポジット(予約料)は必要ありません。電話などでいつでもキャンセル(キャンセル料無し)できます。
通信講座を受講中に住所が変わった場合(例えば、アメリカで申し込み日本に帰国してからも継続して受講する場合)、追加の料金や手続きは必要ですか。
新しいご住所と連絡先を教えていただくだけで、追加料金、その他の手続きは必要ありません。
クレジットカードでの支払いの場合、別途に手数料は必要ですか。
いいえ、受講料のお支払いに関して正規の料金以外は徴収いたしません。現金、小切手、クレジットカードなどいずれのお支払い方法でも料金は変わりません。振り込みの場合は送料・手数料は自己負担とさせていただきます。
受講料の分割払いはできますか。
はい、クレジットカードは総合講座は5回/一般講座は3回まで、銀行振り込みの場合総合講座も一般講座もどちらも2回まで分割払いが可能です。分割払いでも授業料は同じです。
2. 日本語教師の資格について
日本語教師の資格とは何ですか。
2024年4月以降の「登録日本語教員」については 「資格について」を参考にしてください。
https://wjlc.com.au/what-is-a-japanese-teacher/qualifications/
以下の情報は2024年3月31日までのものです。
日本語教師においては国家免許という公的な資格制度はありません。従って医師や弁護士のような国家試験、あるいは学校教員や幼稚園教諭のような地方教育委員会による採用試験などもありません。
日本国内の通学の420時間日本語教師養成講座のほとんどが60万円前後の受講料です。WJLCの通信の420時間講座との違いは何ですか。
まず、日本にある日本語教師養成機関の通学講座の受講は60万円という大金を払わなければなりません。違いといえば、2017年8月1日より実施された法務省の日本語教育機関の告示基準によると日本国内の在留資格「留学」が付与される留学生を受け入れることが可能な日本語教育機関(以下、就学ビザが発給できる日本語学校)で働く場合に日本国内にある(本校は海外、オーストラリア・シドニーにあります)420時間の通学講座か通信でも120時間以上の面接(我々はこれは通学講座と実質的に同じだと考えています)がないと働けないとしており、WJLC講座(以下本講座)の全過程通信講座の場合はその条件を満たしません。 しかしながら、その大前提として4年生大学卒か大学院卒でなければなりません。つまり、最終学歴が大学中退、短大卒、専門学校卒、高卒、中卒の場合、420時間の通学講座を修了しても就学ビザが発給できる日本語学校では働けません。 また、4年生大学卒か大学院卒で420時間通学講座を修了しても他の職業と同様に単なる必要条件に過ぎず、就職の保証はどこにもありません。 就学ビザが発給できる日本語学校で働く条件に「日本語教育能力検定試験」合格があります。これは実習を伴う研修等は必要ありませんから、本講座を受講しながら検定試験に備える勉強をすることも可能です。実際に本校の受講者や受講修了者で検定に合格した人は少なくありません。どうしても日本国内の就学ビザが発給できる日本語学校で働きたい方は検定試験合格を目指したほうがよろしいのではないでしょうか。本校の420時間通信講座(約1万円)を受講しながら検定試験に合格すれば、時間的にも経済的にもずっと節約できます。前述の通り、60万円といえば大金ですが、そんな大金と多くの時間を費やす前にここは慎重にお考えになったほうがいいのではないでしょうか。以上は日本国内の就学ビザが発給できる日本語学校での話で、他のQ&Aでも触れていますが、日本語はそれ以外のところでも教えられています。詳しくは「資格について」をご覧ください。
日本国内の在留資格「留学」が付与される留学生を受け入れることが可能な日本語教育機関以外の日本語教育機関とは具体的にはどんな学習者でしょうか。
永住ビザ保持者、ビジネスビザ保持者、ワーキングホリデービザ保持者、観光ビザ保持者、大学などの他の教育機関の就学ビザ保持者及びその家族等が該当します。したがって、就学ビザの発給を必要としない学習者を教える日本語教育機関において、日本語教師として教える場合は個々の日本語教育機関の内規により採用条件は異なります。 申し上げるまでもなく、オンラインレッスン、個人レッスンや企業への出張レッスン、ボランティアレッスンは、日本語教育機関に属さなくても日本語を教える能力の証明があれば可能です。また、法務局の日本語教育機関の告示基準解釈指針は日本国内に限定適用されるもので、日本国以外の国では適用外となります。 無論、日本国以外の国においても、それぞれの日本語教育機関運営既定や採用基準はありますが、本校講座修了者が多くの国で日本語教師として採用されていますことから海外では通学教育と通信教育を分けて教師採用条件にしているところはほとんどないのではないかと推察します。詳しくは「卒業・在校生の声」をご覧ください。
2017年8月1日より実施された法務省の日本語教育機関の告示基準によると日本国内の在留資格「留学」が付与される留学生を受け入れることが可能な日本語教育機関(以下、就学ビザが発給できる日本語学校)で働く場合に通信の420時間の日本語教師養成講座は120時間以上の面接が必要とありますが、こちらではメディアを使って120時間以上の面接は受けることは可能でしょうか。
いいえ、できません。というより、本講座は120時間以上の面接が受けられないような方のための講座です。メディアを使っても120時間以上の面接が必要となるといろいろと時間や場所の束縛や制約が出てくることになり本校のモットーである、「自由な時間、自由な場所」での学習ができなくなります。本校の卒業生の中には病院のベッドで修了なさった方や現在もベッドの上で受講なさっている方もいらっしゃいますが、そのような方は直接あるいはメディアを使った120時間以上の面接は物理的にも時間的にも無理があります。実際に仕事をしながら120時間以上の面接を課した講座を受けるのは大変なことで、現在の仕事を失うことにもなりかねません。 本講座はもともと受講者の現在の生活環境をリセットさせることがないように配慮したものであり、通信教育のメリットを最大限に活かし、どういう生活環境・地理的環境の方でも受講して日本語教授法を習得させることが本講座の社会的使命と考えています。30年以上、海外、離島、障碍者あるいは仕事や家庭から離れられない人などのために講座を開講してきましたし、今後もその講座開講の目的は変わりません。また、新基準はその対象者が日本国内で働くことを前提としており、ほとんどの在日、海外の外国人は実質的に対象外となりますが、本講座では日本語能力さえ満たせれば、前述の通り、日本語教師になるという夢の実現に、どなたでも受講できるように受講資格に国籍や年齢を問うておりません。したがって、基準が変わり、国外の日本語教員養成研修が認められるようなことになっても、通信以外の講座受講が困難な方に120時間以上の面接を行う講座を開講する予定はありません。
日本国内の就学ビザが発給できる日本語学校で働く場合の条件を満たす一番安上がりの方法を教えてください。
1年一度日本国内の大都市で行われる「日本語教育能力検定試験」に合格することです。受験料は 14,500円でこれに合格すれば、格安(14,500円)かつ学歴が中卒、高卒の方でも日本語学校で働く場合の条件を満たすことができます。わざわざ貴重なお金60万円と日本教師養成講座通学のための420時間を費やす必要がなくなります。また、この試験は独学で参考書や過去問で試験対策をすることにより合格することも可能です。ただし、一般の日本語教育に携わったことがない方は本校の420時間通信講座で日本語教育とはどのようなものかを学習して試験にチャレンジなさったほうがはるかに合格に近づくでしょう。なぜかといえば、日本語文法はまったく日本語教育の学習をしたことがない人にとっては、理解するだけでも本当に大変だからです。検定対策書を見ただけですぐにギブアップするぐらい専門的なものです。それゆえ、本講座で基礎知識を学んでおく必要があります。その基礎知識があれば試験内容の理解は難しいものではありません。
「日本語教育能力検定試験」に合格しただけで、実際に日本語が教えられますか。
検定合格者は採用の際に有利になり、またそのための勉強もいい意味で本講座の学習の励みとなりますから、本校としても検定合格を奨励していますが、検定試験はあくまで学科試験のみで、合格者はいわゆるペーパードライバーです。仮に日本語教師として採用されても実践的に日本語を教えるための日本語教授法を身に付けていなければ教えることは難しいのが現実です。本講座の修了生の中には受講前に検定試験に合格し、その後本講座を受講なさる方もいますが、検定合格だけでは実際に教えることは無理だと言っています。以下はそのような方の本講座修了後の感想です。
「毎回、詳しくわかりやすく細かいご指導をありがとうございました。 受講前に日本語教育能力検定試験には合格していました。しかしながら、プロの日本語教師になるには、検定試験に合格しているだけでは、授業の組み立て、学習者への文法、用法の指導など、順序立てて行う方法がなかなかうまくいかず悩むばかりでしたが、この講座で具体的な説明法や例文等を学ぶ事が出来大変参考になりました。現在駐在外国人に個人授業をしておりますので、間接法による指導が中心です。特に英語での説明法、文法用語などはとても役立っております。」
海外青年協力隊等に応募する場合に420時間養成講座の通信と通学では採用される場合に違いが生じるのでしょうか。
国際交流基金、あるいはJICA(国際協力機構)が海外青年協力隊等における日本語教師を募集する際、420時間程度の日本語教師養成講座修了者であれば、学習手段は通信でも通学でもどちらでも応募条件を満たすとしています。ただし、それ以外に実際に教えた経験があればなお良いとのことです。
420時間養成講座の通信では実習が含まれませんが、どうやってカバーするのでしょうか。
本校講座では実習を含めない代わりに、教育実習をしている受講者を撮影した動画を教材に含めています。実際に教えてみたい方は本動画を参考にして地域の日本語ボランティア教室やオンラインでの日本語ボランティア教室に応募し、教えることも可能で、実際に本講座の受講生はそれを実践しています。教育実習は良い教師になるための手段であって目的ではありませんから、それに代わる実践方法があればそれで補えるところは多々あると考えます。
3. ワークシートの提出・修了期間・有効期限について
通信講座の場合、ワークシートの提出方法を教えてください。
Eメールでの提出を原則とします。
どのくらいで420時間講座を通信講座で修了できますか。
1日1時間30分の学習で約1年間、1日3時間の学習で約半年で修了できます。ただし、どんなに早くても半年の学習は必要です。
一般通信講座とマスター講座の有効期限を教えてください。
一般通信講座が6か月、マスター講座が1年間あります。
4. 日本語教師養成420時間総合講座について
420時間総合講座は特に低料金なのはどうしてですか。
受講料については、日本語教師養成一般通信講座(通学もあり)とマスター通信講座を合せた420時間通信講座がA$1,740(日本円で約17万円)です。この金額は日本にある民間の日本語教師養成420時間講座の受講料と比較した場合、3分の1から4分の1程度の料金です。これはお調べになればすぐに判明しますが、ほとんどが60万円前後になります。もちろん受講料金が安ければ良いというものではありませんが、WJLCでは無駄なコストを抑えて講座内容を効率化したため、低料金で充実した講座を開設することができました。「まずは生徒の身になって考える」がWJLCのモットーですから、低料金設定は受講生の利益に繋がると確信しています。
WJLC420時間講座のメリットは何ですか。
WJLCの日本語教師養成420時間講座は通信教育ですから世界中どこからでも受講ができ、受講修了すれば日本語教師としての知識とテクニックを身に付けることができます。また、それだけではなく日本語教師の資質の向上にも十分な配慮をしています。
第一は日本語教授法の習得です。受講者は英語を媒介語とした間接法と日本語を日本語だけで教える直接法という2つの異なる教授法を習得することができます。これによりほとんどの日本語学校の求めに応じることが可能です。特に英語を媒介語にした教授法習得者は極端に数が少なく英語話者が多い学校などでは採用される確率が高くなり、またオンラインで英語を使って世界中の日本語学習者に日本語教えることもできます。
第二に登録日本語教員になるための試験にもある程度対応できるようなカリキュラムで学習します。
日本語教師養成420時間講座は通信講座受講でも可能ですか。
可能です。
本講座は30年以上の実績があり、多くの受講者が世界中に日本語教師として活躍しています。本講座では長年の研究と実績で培った日本語教育メソッドを通信講座に反映させて、誰でも合理的に日本語教授法を習得できるシステムを開発しています。 それとともに、講座受講希望者においては地理的、時間的あるいは経済的、身体的に通学の受講が不可能な人も当然想定されるわけで、そのようなハンディのある人たちの便宜を図る意図でも開設されているのが本校通信講座です。 通信講座での日本語教授法習得が可能ということについては、多くの受講者が世界中で活躍している事実が証明しています。
オンラインのスクーリングはありますか。
WJLCにおいても講座内容にオンラインでのスクーリング導入を検討しましたが、これはネット環境の問題、国による時差、拘束時間等、学習者の利便に配慮を欠くため基本的な通信教育の利点を損なうことが懸念されます。
過去30年以上の通信教育を行ってきた経験上、自由な場所、自由な時間、自由な空間という通信教育の利点は最重要であり、スクーリングはこれを損なうデメリットのほうが大きいと判断してとりやめました。
もちろん、スクーリング自体のメリットはありますが、これに関しては本校の教材(動画・オーディオ教材)でなるたけフォローできるようにしています。
受講者には、集団の中での学習より個人で自由に学習するほうが集中できるという人も多いため、学習環境的にストレスフルになることを避け、本来の通信教育の利点である自由な場所、自由な時間、自由な空間で学習できるようにと考えています。
WJLCの講座と他校の講座との違いは何ですか。
講座前半の内容は英語を媒介語にしたインダイレクトによる教授法を中心に学習しますから、この教授法の講座は他校ではあまり見られないと思います。講座後半では他校の講座内容が文化庁の新シラバスに準拠した内容であればWJLCの講座と似たような内容になるでしょう。
5. 仕事探し・就職等について
WJLCの修了証はオーストラリアの教員免許に、例えば日本教師の免許として資格が付与されるのですか。またCommunity CollegeやPrivateの語学学校で教えることはできますか。
日本語教師の免許については、例えばこちらの公立高校などで語学教師として就職する際の教員免許を想定されているのであれば、その際は州の教員免許が必要になり、本校の修了証書では条件を満たしませんが、シドニーを中心とした日本語補習校では本420時間養成講座修了証書が教員免許として認められています。大学で教鞭をとる場合は言語学などのMA(修士課程)を取得していれば特別に教員免許は必要ないところが多いようです。Community CollegeやPrivateの語学学校で教える場合は基本的に教員免許は必要ないと思いますが、大学を含め学校により採用基準が異なるので直接お問い合せになるのが確かでしょう。
講座終了後どのようなところで働くことができますか。また講座を終了した人はどのような方法で仕事を見つけていますか。
基本的には日本語を教える私的な学校やプライベ-トレッスン、あるいはオンラインで世界中の日本語学習者を相手に日本語教えることが主になると思います。もちろん住んでいる国の教員免許があれば公立の学校でも教えられますし、シドニー周辺の日本語補習校であれば、本420時間修了証書でも採用の対象になりますし、大学でもMA(修士課程)を取得していれば大学で教えるチャンスもあります。本校の講座修了者の中には現役の日本語教師も少なくありませんし、新たに日本語教師になった人ももちろんいます。就職の採用条件というのは、国によって異なりますし、日本語教育機関によっても異なりますから、一概にこれだけの条件が揃えば就職できるということは言えません。
どのようにしてオーストラリアで仕事を探したらよいでしょうか。
仕事を探す方法として、一つは仕事を紹介・斡旋する専門の会社に依頼する方法と、もう一つは自分で探す方法があるかと思います。前者の方法は直接会社にお問い合わせになって求人状況採用条件などを確認し登録しておきます。後者の自分で探す方法は、本サイトの仕事の探し方の欄に載せております。
講座終了後、就職の斡旋や紹介を標榜する日本語教師養成学校がありますが、WJLCには就職の斡旋や紹介のサービスはありますか。
WJLC では、就職の斡旋や紹介を本校講座の受講条件のギャランティーにはしていません。理由は2つあり、一つは開校以来の本校の一貫したモットーでもある「自立した日本語教師」を目指してもらうためです。恐らく今の時代、就職サポートでアピールしている講座は多いかもしれませんが、本講座では人に頼らずに自分で仕事を探すことも大切な日本語教師の資質と考えており、そのような教師の養成も本講座の目的でもあり、実際に受講前は仕事のことをあれこれ質問してきた受講生が修了後は誰も尋ねなくなっているのはそれだけ自分に自信が出てきている何よりの証拠です。そのことをスタッフ一同何よりも誇りと喜びに感じています。
もう一つ、就職の斡旋や紹介をしないのはそれはしたくてもできないというのが正直な答えです。就職に際しては日本語教授スキルだけではなく、多くの条件が付帯します。海外であれば、VISAのカテゴリー、年齢、その国の教員資格、英語などの語学力、経験、PCや運転免許などの特殊技能などに加え、人格面なども考慮されます。それから採用の時期やタイミングなどもあります。もしも、上記の条件を一つも満たさない人に、就職の確約をすることは常識的に無理だと言わざるを得ません。本校でも講座受講生や修了生に個人的に仕事の紹介をすることはありますが、あくまでも採用条件を考慮して誰が適任であるかこちらで判断した場合です。さもなければ、雇う側、また日本語学習者、それに本人にも迷惑な結果になることが懸念されるからです。
海外で日本語を教えるにはどんな資格が必要でどのような準備をしたらよいでしょうか。
まず、正しく効果的に日本語が教えられる技術を身につけておくということが大前提ですが、人格的な問題があれば、教師として採用されることは常識的にありません。教師の質が学校の質を決める大きな要素ですから、これも経営者の側から考えれば至極当然なことだと思います。また、資格としてはビザの問題や語学力、学歴、職歴等その国やその国の教育機関により様々ですから、事前にお調べになったほうがよろしいかと思います。
日本語を教えてほしいと頼まれましたが、プライベ-トの授業料の相場はいくらぐらいでしょうか。
特に定まったものはありませんし、国よって相場が異なるかと思います。オーストラリアでは、教師の家で教える場合は、ふつう1時間A$20~40位でしょうか。だいたいこの料金を基準にして以下のことを考慮して算定してください。
レッスン場所が生徒のところで、なおかつ遠い場合は交通費など別に算定します。
生徒の人数により、例えば1人だけであればA$30、2人一緒ならA$50(一人当たりA$25)、3人一緒ならA$60(1人当たりA$20)のように算定します。
生徒の年齢や専門性も考慮します。幼児の場合は遊びの要素が多くなるし、一回のレッスンで習得させる内容も少ないので、あまり高い授業料は徴収できません。
逆に、授業の準備が大変なもの、例えば、HSC受験・大学の専門教科(古典/漢文/エッセイなど)は料金の設定を高めにしてもよいでしょう。
授業料の一括払い(例えば、10回分先払い)や長期契約(1年)などの場合は、少し安くすることも考慮してあげてください。
一般的に申しますと、日本語教育のプロとして教えるわけですから、最初は安くても慣れてきたらあまり安い授業料は感心しません。授業の質に見合った金額を請求してよいと思います。ただし、経験を積むことを重視して多くの生徒を教えるのが目的なら、時間のA$20でも十分だと思います。
以上のことを参考にして授業料を決めてください。
オンラインで日本語を教えることができますか。
はい、ITの発達により近年はオンラインで日本語を教える機会が急激に増えています。オンラインで日本語を教えている卒業・在校生はたくさんいます。
詳しくはこちらを参照ください。
6. 日本語教授法について
WJLCのテキストを使って日本語を教えているのですが、生徒はテキストを読むだけで理解し、私が説明することがほとんどないのですがこれでよいのでしょうか。もしもこのテキストがなければどのように教えたらよいか少し不安です。テキストを使わないで教えることも可能なのでしょうか。また実際の授業では英語力のある先生の方が有利だと思うのですが、それについても意見を聞きたいです。
語学教育の目的は生徒の言語習得の実現というものですから、テキストはあくまでもその目的の補助的な役割をするもの、つまり学習手段の一つです。それゆえテキストを使う使わないは教授法により異なって然るべきですが、生徒が体系的に語学の学習を行う際には非常に有効な教材です。本講座は日本語教師の養成ですから、どのように生徒に日本語を教えるかを学習します。従って体系的にまとめられたテキストは欠かせません。例えば、どう導入して、どう説明して、どう練習させるか、その教授過程(生徒の習得過程)をテキストを通して本講座受講者の皆さんに学習してもらいます。
ご質問者のおっしゃるように、このテキストを使って順番通りに教えて行けば、それほど教えるのに苦労することはありませんが、それは教師が内容をよく把握しているという条件が付随します。全く日本語教授法の勉強をしたことがない人にこのテキストを渡して日本語の授業をさせても、できるものではありません。このテキストがやさしくまた合理的だと思うのは、すなわちテキストの内容がよく理解できている証拠にほかなりません。それから、学習者がこのテキストを読むだけで日本語を習得できるかというとそれも無理です。やはり教師が肝心なところを教えなければ習得は難しいと断言できます。
それから教師の英語力についてですが、なるほどご質問者がおっしゃるように、英語話者に教授する際は教師に英語力があるに越したことはありません。しかし日本語教師は英語の先生ではなく日本語の先生です。英語は手段です。だから下手な英語も上手に使えば目的は達せられます。もし、英語の説明を完璧に言えるようになりたいということであればわざわざ英会話学校に行く必要はありません。テキストの説明文を一日百回真剣に声に出して読めば、誰でも諳んじることができるようになります。そしてテキストを使って何度も教えながら自分の言葉で説明できるように実践の場で英語力を磨くほうが効果的だと考えます。
教師の英語力についてはしばしば質問を受けますが、もし英語をネイティブスピーカーの教師に習うとき、教師に完璧な日本語を期待あるいは要求するかどうかを考えてみてください。英語の授業なのに立て板に水の如く日本語を話されたら食傷気味になるのではないでしょうか。日本語の授業もそれと同じで生徒は教師の英語を聞きに来ているわけではありません。英語は日本語を理解させるための補助的な手段であり目的ではありません。その意味では必要最低限の英語力で十分です。要は英語を使って教師がどう効果的に教えられるかということです。
できない生徒のプライドを傷つけずに指導する方法があるのでしょうか。一人の生徒はドリルなどもあまり真面目にしませんし、やらせてもできず、その割にはプライドが高くてできないことを素直に認めません。このような生徒をどう指導してよいか分からず、最近教師の限界を感じています。私自身、生徒に完璧をもとめるところがありよくないと反省していますが、どのへんまで妥協すればよいのか教えてください。
教師の仕事は人間を相手にするものですから、機械的に教えればよいというわけには行きませんし、生徒の性格や学習能力、生活・学習環境なども十分把握しておくことは教授する上で必要だと思います。また、教師と生徒との間にお互いの敬意や信頼がなければ学習の継続は困難だろうと考えます。それを踏まえた上で教師は生徒の学習目的に応じてリ-ダ-シップを発揮して授業を行わねばなりません。
今回、お尋ねのケ-スの「生徒のプライドを傷つけずに指導する」ということについては、個々の状況によって対処の仕方が異なりますから、画一的な指導はできないと思います。ただ一般的に言うと生徒の学習評価をする場合、学習能力より学習態度を重視した授業が望ましいかと思います。学習態度が正しければ、学習能力は必ず開発されていきますから、まずそのことを本人を含めクラス全体に周知させることです。間違いもそこで矯正されれば、間違いではなくなります。目標言語習得ということについては、学習者の語学センスや才能により差が出るのは確かですが、何人といえども完全な人はいませんし、できる人は例外なく非常な努力が実を結んだ結果です。そういう過程を経てはじめてものにできるのが語学ですから、教師も生徒も常に完璧を望めばそこに無理が生じます。練習はできないからできるようにするのが練習であり、最初からできれば練習は必要ないわけで、その辺りの認識を持たせたらいかがでしょう。もし練習の文が長ければ大事なところだけに端折っても構いませんし、必ずしもテキスト通りにやる必要はありません。それこそ、生徒の能力に応じて臨機応変に対応してください。
学習内容が進めば段階的に難しくなりますから、生徒ができないところはやはり曖昧にせず、きちんと教えてください。そういう意味での厳しさは必要です。ただ、クラスの中でその生徒が浮き上がるような状況は好ましくありません。他の生徒に対してもけしてよい影響を与えません。そういう場合にこそ教師の力量が問われます。生徒ができないからといって、その生徒を否定することはできません。別の分野ではすばらしい才能を発揮する人も当然います。ですから、日本語の中でも得意な部分(読み書き、単語力、コミュニケーションスキル等)を見つけてやり、その方面から自信をつけさせる方法なども考えられます。教師には、包容力、忍耐力、統率力と共に生徒の才能を引き出すという力も要求されます。
パナリンガ学院の故長島達也先生が「教師は産婆だ」というソクラテスの喩えを常々おっしゃっていましたが、教師には生徒の才能を引き出す役目があると理解しています。少し話が外れましたが、大事なことは生徒がわからなくてもそれでプライドが傷つくようなクラスの空気を作らないこと。また一人の生徒が上達すればそれがクラスの喜びになるような空気を醸成することが教師の役目だと思います。どのへんまで妥協すればよいかということですが、評価は教師の基準ではなく個々の生徒のレベルに応じて行うものです。ご自分が完璧主義だからそれを生徒に求めるのは間違いです。逆の立場になれば想像できるかと思います。評価を100から減点していくのではなく、0から加点していくようにすれば、誰しも最初の0より進歩・上達した評価になります。それだと妥協などという言葉も不必要になるかもしれません。十分です。要は英語を使って教師がどう効果的に教えられるかということです。
ワ-クシ-トの課題意図は何ですか。テキストがよくできているので課題は英語で答える問題が多いほうがよいのではないでしょうか。
英語で答える問題が多いほうがよいのではとのご意見ありがとうございました。今後講座の内容をより充実させていく上で参考意見として検討事項にいたします。現在のワ-クシ-トの課題学習の意図を言っておきますと、まず教師自身が英語との比較の上で日本語文法を理解すること。また段階的、体系的に教えていくには、どこにポイントをおいて教えるのかそのコツを掴むこと。そのためには英語話者の思考傾向を知ること、そして前述したようにいろいろな角度から考えを導きだせるように訓練することなどを、課題の学習で習得してもらうことです。
もちろん英語での文法説明ができなければ英語圏で、あるいは英語話者を相手に日本語教師はつとまりません。そこで英語でどう説明すればよいか、それはテキストに載せているとおりです。口頭で説明する際もテキストの文法説明文をそのまま読んでやれば生徒が理解できるように考えられています。だから基本的にはテキストの文法説明文を暗記すればテキスト無しでも教えられますし、それは受講生の学習意識の問題になります。ただし、日本語教授の理解がなければテキストの内容を生徒に教えることはできません。本校のテキストが合理的に編集されていると分かるのは、日本語教授法の理解があるためです。また皆さんにその理解がなければ、日本語学習者にテキストだけ読ませても日本語習得は難しいと思います。
教師は授業でどの程度日本語を使って教えるべきか、またある程度学習者が日本語を理解するようになった場合でも英語を使うべきか教えてください。
語学教授法において、媒介語を使う大きなメリットに「目的と手段の混同が避けられる」ことがあります。つまりこれを逆に考えると、教師が媒介語を使わず日本語だけで授業を行った場合、生徒は学習する日本語と説明のための日本語との区別が曖昧になります。教師は学習者が学習する内容を明瞭にしてあげなければなりませんから、混乱させるような日本語の使い方は避けるべきだと考えます。ただし学習者も日々日本語を習っていくわけですから、教えた日本語は教師も使うべきだし、生徒にも使わせるようにします。
それから、初級者でも教室用語などはいつも使うものですから最初から日本語(意味の説明はすること)で言ってよいでしょう。学習者のレベルが上がればそれに応じてより日本語を多く使うことは言うまでもありません。もっとも文法的説明などは説明が主ですから、わざわざ日本語にこだわる必要はないと考えます。基本的には、説明は英語で練習は日本語でというのがベタ-だと思います。最も教師として大事なことは、生徒が日本語を習得するために「何が望ましいのか」ということを常に念頭において授業に臨むことではないでしょうか。また、それは自分が生徒の立場になって考えることを意味します。もしも、英語の授業でネイティブの教師が必要以上に日本語を使えばどう感じるでしょう。また、理解不可能なレベルの英語でまくしたてられたらどう思うでしょうか。おそらく両方とも授業への興味が半減するでしょう。言語を教える場合に注意しなければならないのはこのような授業です。生徒にとって何が望ましいのかという意識が希薄になると教師の一人相撲の授業に陥ります。媒介語を使う場合も上記のことを銘記して、授業プランをしっかり練って授業に臨んでください。
生徒が日本語を学ぶにあたって何が難しいのでしょうか。また媒介語を使うと母語の干渉が上達を阻むと聞いたことがありますが、本当でしょうか。
最初のご質問は非常に抽象的なのでお答えにくいのですが、あなたは何がやさしく、何が難しいとお考えですか。このような問題を考えるとき、もう少し具体的に問題を整理して質問してください。言語を習得する過程において、二つの面を克服しなければなりません。一つは言語要素の規範であり、もう一つは言語運用です。言語要素の規範とは、音声・音韻・アクセント・語彙・文法・文字・表記法などのル-ルであり、言語運用とはその規範に従って話し、聞き、理解すること、すなわち運用の仕方・言語運用能力のことで、この両面ができなければ、学習言語で自己表現をすることは難しいわけです。
個々に何が難しいといっても、それぞれ学習目的(到達目標)、教授法、学習環境、年令などにより異なってきます。ただ一つ言えることは、成人の学習者の場合、母語からの影響や抵抗が強く、これが二つ目のご質問「母語の干渉」といいますが、確かにこの問題が日本語習得に関して一番大きいと思います。言語はコミュニケーションの手段でありながら、一方でその言語を用いる国の人の思考方法、認識方法、生活・行動様式、自然環境、社会習慣、文化形態などと深くかかわっています。だから、ある言語から別の言語に翻訳された同じ意味・概念を指すとされる言葉でも、厳密の一致はほとんどありません。抽象的な言葉は言うに及ばず、日常使用頻度が多い形容詞などでも同様です。
日本語と英語で例を挙げると、‘暖かい’は‘warm’、‘涼しい’は‘cool’ですが、これは英語では一年中使われます。しかし、日本語では夏あるいは秋にかけて用いられるのは‘涼しい’であり、けっして夏に‘暖かい’とはいいません。また冬あるいは春にかけては‘暖かい’であり、けして冬に‘涼しい’とは言いません。日本語で‘暖かい’は寒い中で暖かい結構な日和であり、‘涼しいは’暑い中で涼しいという結構な日和であるという気分も含まれます。だから一般的に良い意味で使われます。英語の場合は、ただ単に体感気温(温度)を‘warm’‘cool’と表現するわけでそこには話者の結構な日和であるという気分は表現されません。こういう問題を対照言語学が扱うわけですが、日本語教師も当然認識しておかねばなりません。母語の干渉は媒介語を用いるために起こるという説があり、ご質問者もそれを指してのことだと思いますが、直接法であれ間接法であれ、教師及び生徒にその意識が希薄であれば母語の干渉は避けられません。英語圏の人に、いくら直接法で‘暖かい’を教えても、学習者は‘warm’だと認識するだけです。
翻っていうと、そのような誤解は直接法での学習者の方が多くなる可能性があります。たとえば英語教師が直接法で‘short’という単語を示し、身振り手振り、あるいは長さの長短のあるものを用いてその意味を伝えようとしたとします。その時、日本人であれば「これは‘短い’という意味か」と合点するでしょう。しかし、その合点は日本語で理解した合点であり、つまり翻訳です。ただその合点が正しいのかどうかの確認が言葉でできないだけです。このように母語からの干渉は教授法の別に関係無く起こるものです。その点、媒介語を使う教授法ではその意味の差異を説明できることにより母語からの干渉を軽減させることができます。
可能形の‘ら抜き言葉’が定着しているようですがそれで教えてもよいでしょうか。
現在‘ら抜き言葉’が使われている状況を説明する必要はありますが、‘ら抜き言葉’で可能形を教えることについては反対です。その理由として以下の4つの点が挙げられます。
(1) 文法的に合理的説明ができないこと。
(2) ‘ら抜き’にならないものも少なくないこと。
(例)‘信じられる’‘生きられる’など。
(3) 辞書形が同形で第一群に属す動詞と区別ができないこと。
(例)‘帰る(帰れる)’と‘変える(変えられる)’など。
(4) ‘ら抜き’は音声学的に母音の /a/が欠落することにより、音が汚くなること。
私は外国人に可能形を教える際には、必ず生徒に‘ら抜きの可能形’と比較させてどちらが響きがよいか尋ねます。すると100%間違いなく‘ら抜きの可能形’ は音がよくなく、「ら」が入ると音が美しいと言います。私は文法云々よりもこの事実だけでも‘ら抜きの可能形’を使いたいとは思いません。無論生徒も使いたいとは言いません。‘ら抜き言葉’に関しては許容ということで公のお墨付きをもらい有名な作家をはじめテレビ・ラジオその他日本中の人が使っている現状は承知しています。生徒にもその現状は教える必要はありますが、日本語教師が率先して使うのははっきり言って不見識だと考えます。この私の見解にはいろいろと批判があるかもしれませんが、日本語教師には正当で美しい国語を継承しようとする気概も必要だと思います。
ら抜き言葉の話は興味深く読みましたが、「あるじゃないですか」など最近の言葉遣いに対する日本語教師の態度はどうあるべきでしょうか。私は何か軽佻な感じがして使いたくないのですが。
私も前々から「~じゃないですか」という表現は違和感がりましたが、「あるじゃないですか」に至っては非文ではないかと思います。「ないじゃない」という言い方はありますが、「あるじゃないですか」はほとんど見たことも聞いたこともありませんから最近の流行言葉でしょう。「新種語も会話の中で日常的に馴染んでくれば慣用語として許容される」と言いますが、ただ単に表現力のなさを誤魔化すような言い方は言語文化の低下を招くだけです。積極的には使わないのが賢明だと考えます。もう一つこの頃の流行に「買うよみたいな」という言い方がありますが、これなども同類ではないかと考えますが、今では、民放は言うに及ばずNHKのレポ-タ-なども使っていますから、日本中また世界の日本人の中に蔓延しても仕方がないかもしれません。
それでは日本語教師は言語に対しどのような態度をとるべきか、私見を申しますと、違和感がある言葉は断じて使わない。それが言語に携わるものの見識だと思います。ついでに申しますと、物事の好悪を言うのは慎むべきことですが、こと言葉に関しては自分の言語感覚を麻痺させないためにも使う上での好き嫌いはあって然るべきだと思います。ただし、それはあくまでも自分の問題で人に強要するものではありません。なぜかと言うと、言葉それ自体に善し悪しがあるわけではなく、善し悪しは言葉を使う側の意識の問題だからです。その意味では差別語なども同じだと言えます。抽象的な思考からは抽象的な言葉しか生まれませんし、本人に品位がなければ言葉も下品になります。日本語教師は、そういうことを十分認識しておく必要があると考えます。
それから、現代日本語として許容されている表現を生徒にどう教えるかという問題がありますが、これは正当な表現を教えた後に紹介する程度でよいかと思います。
「私は彼を好きです」は文法的に許容された文だと何かの本で読んだ記憶があるのですが、「私は彼を好きではありません」という否定の表現にも助詞「を」は使われるのでしょうか。
「私は彼を好きではありません」という否定の表現には、「彼が/彼は」とするのが普通で「彼を」はあまり聞かないと思います。二年前に本校が教師養成講座受講者に行った調査では「酒を好きじゃないが飲んだ」「酒を嫌いだが飲んだ」という表現は違和感があるかという質問にほぼ全員が「ある」と答えています。これはあくまでも語感の問題であり、否定形が文法的に許容されないとはどの文法書にも出ていません。しかし、「~は~を好きじゃない」という文型も出ていません。ほとんどの文法書では対象語には「が」を取るとして、「を」については触れてもいません。すなわち、否定形は認知されていないというのが現状ではないでしょうか。少なくとも否定形の「を」の認知にはまだ時間がかかるのではないかと思います。なぜ肯定形の場合「を」が許容されるようになったか、それは、「が/は」だけでは主語と対象語の判別が付けにくい場合があるという理由からです。そのような場合に「を」で対象語を表せば、主語と対象語が明瞭になります。だから特に口語で使われるようになったと聞いたことがあります。ただし、口語でも否定形は主語にしろ、対象語にしろ「は」が取られることが多く、「を」で対象語を示すことは少ないと考えます。もし使われるとすれば、肯定のときと同様に文脈あるいは状況から主語と対象語の判別が「は」では明瞭ではない場合に限られるでしょう。 以上、私の考えを述べましたが、否定形に「を」が使われるかどうかを考察した文法書(研究書)があれば読んでみたいと思います。